出演:白石加代子
構成・演出:鴨下信一
演目:三遊亭円朝「江島屋騒動」
筒井康隆「五郎八航空」
白石加代子「百物語」とは?
白石加代子「百物語」シリーズは、明治から現代の日本の作家の小説を中心に、「恐怖」という
キーワードで選び、それを白石加代子が朗読するという形で出発した。
上田秋成「雨月物語」、泉鏡花「高野聖」、坂口安吾「桜の森の満開の下」、江戸川乱歩「押絵と
旅する男」、という幻想文学の傑作作品から、半村良「箪笥」、筒井康隆「五郎八航空」、
阿刀田高「干魚と漏電」、高橋克彦「遠い記憶」、宮部みゆき「小袖の手」、小池真理子「ミミ」と
いった現代作家の人気作品までの幅広いレパートリーと白石加代子の朗読という枠を超えた
立体的な語りと動きの上演で人気を博している。
白石加代子「百物語」は1992年に始まった。そしてやっと80本に手が届くところまでやってきた。
特別編は、その中から特にお客さんの支持が熱かった作品を取り上げて、構成し直したもので
ある。その最初のバージョンには、浅田次郎「うらぼんえ」、阿刀田高「干魚と漏電」、和田誠「おさる日記」の三本を選んだ。今回はその二回目となる。
まず、一本目は、
三遊亭円朝の「江島屋騒動」
「江島屋騒動」は原題が「鏡ヶ池操ノ松影」という作品で、さまざまな因果話によって構成された
かなり長い物語であるが、今回はその中の抜き読みである。時間にしてほぼ40分、
しかしその短い時間の中で、めまぐるしく人間の人生が変転して行く。名主の息子に見初められた
娘が、準備してもらったお金で江戸の古着屋江島屋で花嫁衣装を買い求める。
馬に乗って嫁入りの当日、折しも途中から大雨に見舞われ、びしょ濡れになって、やっと相手の家
にたどり着く。しかしその買った花嫁衣装が実はいかもの(まがいもの)で、単に糊付けされたものだったので、雨で糊が溶けてしまったため着物がはがれ、花嫁は大恥をかいてしまう。
それを恥じた花嫁はその場を抜け出し、濁流の中に身を投げてしまう。そのことを恨みに思った
母親が、夜毎、そのいかものの花嫁衣装を売った江島屋に呪いをかける。
ある雪の夜、道に迷った江島屋の番頭が、その母親の住むあばら家に迷い込み、そして・・・。
演出の鴨下信一は子供の頃、名人と言われた人の、講談や落語、浪曲、歌舞伎の芸をたくさん
体験したそうである。この「江島屋」では、その名人の音を白石加代子を通して再現しようと試みた。
大衆の心を魅了した語り芸の継承もこの「百物語」の大切なコンセプトである。
「白石さん、前から三列目くらいの人を相手にするつもりでしゃべって下さい」と一言ずつ、
言葉の強弱、スピード、声の高さ、感情の込め方などを細かく指示していった。
現代の私たちが失った、かつての日本語がどんなに繊細で情緒豊かなものであったかという
発見の連続の稽古だった。
もう一本は、
筒井康隆の「五郎八航空」
台風の中を赤ん坊をせおったおばさんのオンボロ飛行機に乗り合わせてしまった二人組の
恐怖の体験。まあ、笑った笑った、こんなにも客席が笑いに満ちた舞台というのはちょっと
ないのではないだろうか。
この舞台への作者である筒井氏のコメント。
「わたしは頭の中で白石さんが舞台でやってらっしゃるのは、文字として、文章として一行一行頭
の中に浮かぶのですけれど、一行ごとにお客さんが笑うという、このような朗読劇はもう、
前代未聞といっていいと思います」
また、この「五郎八航空」はニューヨークでも上演されているのだが、それに同行した松岡和子氏も
このようにコメントしている。
「白石さんと文字通り息のあったリアン・イングルスラッドの同時通訳の功績もあって、言葉の
壁は楽々と越えられた。モンペ姿で演じられる『五郎八』に、ニューヨークの観客たちは息を
詰まらせながら、ほとんど狂ったように笑い、文字通り何人も椅子から転げ落ちた」
そしてまさにこの頃から、「恐怖」が売り物の百物語シリーズはいつのまにか笑いが売りの舞台に
なり、かつてピータ・ブルックが「火を噴くドラゴン」を評し、世界の演劇人を震撼させた悲劇女優
白石加代子は、喜劇女優と呼ばれるようになり、「百物語」は「ギャグ物語」と陰口を叩かれるように
なっていったのである。
筒井康隆作「五郎八航空」
白石加代子「百物語」の一番の観客は、それを書いた作家の人たちである。
ここではその作家の人たちの反応や感想をまとめてみた。
●筒井康隆さん
何といっても忘れられないのが、第一夜の公演を観るためにわざわざ神戸から駆け付けて
下さった筒井康隆さん。一般のお客さんに混じってずっと並んで下さった。招待席に案内しようと
しても、いやいやといって、並び続けられる。
第一夜はこういうふうにして始まった。
真っ暗な中、白石加代子の声だけが聞こえる。
暗闇の中での演目は、夢枕獏さんの「ちょうちんが割れた話」。
お盆の夜、おばあさんが死んだ孫娘が来てるよという。
みんなは本気に取り合わない。
そこでおばあさんは来ていることをみんなに知らせなさいと言うと、ちょうちんがバカリと割れる。
ほんの2、3分のショートショート。
その最後のバカリで、白石加代子の顔に照明が当たり、無気味に浮かび上がらせる。
そして「白石加代子の『百物語』へようこそ」と口上が始まる。
前半部分が終わって、話し掛けると。
「いやあ、こんなに怖い思いをしたのは初めてです」と開口一番。
「始まると、座席の肘掛けを、じっと握りしめてたんです。怖い飛行機に乗っている感じですね。
いやあほんとに怖かった」と怖かったを連発。
筒井さんにとって一体何が怖かったか、今一はっきりしない。
舞台が怖かったとは思えない。
よく聞いてみると、
「はっきりいって、白石さんの朗読は批評なんです。それもごまかしようのない批評なんだ。
ふつうのラジオドラマなら怖くないですよ。でも白石さんの場合は、ご自分で咀嚼して、人物を
造形する。だからすべて裸にされてしまう感じで、それが怖い。獏ちゃんのがやられている間、
俺の番になったらどうしようって、気が気じやなかった。これからこの百物語シリーズに取り
あげられる作家は、喜ぶよりも恐れおののかなかきゃいけない」
その後筒井さんは、「五郎八航空」を、大阪の近鉄アート館で観劇し、「僕が狙ったところすべてに
お客が大笑いしていた」と大満足だった。
その後、筒井さんとは、筒井康隆三本立という二人が舞台の上でバトルを繰り広げるという
企画が実現した。
●夢枕獏さん
夢枕さんは、筒井さんと同様、第一夜組である。そして彼は、「百物語」についてこのように
語っている。
「白石加代子の朗読は批評であるといったのは筒井康隆である。この意見には、僕も賛成で
ある。この白石さんの舞台で一番怖いのは、自分の書いたものを読まれている作家だ。
自分の書いた話がなんぼのものか、そこで赤裸々になってしまうからである。鴨下信一と白石
加代子というコンビが、その作品に舞台で評価を下してしまうという、おそるべき批評行為として、
この舞台を捕えることもできる。そこらにいる批評家に悪口を書かれるより、白石加代子によって
朗読されることの方がずっと恐ろしい」
●小池真理子さん
批評と言うことに関しては、小池真理子さんは、
「『ミミ』を上演して頂いた時、岩波ホールで鑑賞して激烈なショックを受けました。
まず、白石さんの、何とも言えないある種の気配のようなものと共に自分の作品が語られる
という喜び。と同時に、自分の作品のまずい部分、例えば、あ、この言葉遣いはおかしいんじゃ
ないかということまでも、白石さんがその場で私に暗に教えて下さったような気がして。
いろんな意味でショックを受けました」
●高橋克彦さん
さて、続いては高橋克彦さんの登場である。
高橋さんは盛岡での「百物語」を自分自身の作品の上演を含めて、積極的に推進してくださった。
また、その後、実現する七人の作家による怖い話の書き下ろしという画期的な企画は高橋さんとの
出会いから始まったというべきなのだ。
「第一夜の『箪笥』を見たときの驚愕と感銘は、自分でも信じられないものだった。半村良さんの
『箪笥』は、それが『幻想と怪奇』という雑誌に発表されたときから読んでいて、恐らく私の
巡り合った怪談の中でもベストテンに必ず入るものである。それだけに少なくとも30回は読んで
いる。筋立ても頭に入っているし、怖さがどこからはじまるかも見えている。
白石さんの「百物語」に選ばれるのは当然のことであるのだが、正直言って他の作品に較べたら
期待が薄かった。見慣れたアルバムを、さはど間もあけずに捲る感覚であろうか。
なのに・・・導入から度肝を抜かれた。読むということがこれほど凄いものだということを私は
はじめて知らされた。私の読んできたものはいったいなんだったのだろう。目で読むことと口で
読むことの差は恐ろしいはどに歴然としている。結局、読み手に想像力がなければおなじものを
読んでも正しい理解が得られない。当たり前のことだが、それを如実に突き付けられた。本を
読みながら我々も無意識に言葉に再構成しているわけだが、その構成された世界が、人によって
異なるのだ。たとえば芝居である。脚本は同一でも演出家や俳優の表現力の違いによって
天と地ほどの差が生じる。小説との違いはそこにあると思っていたのに、実は小説でもおなじこと
だったのだ。白石さんの読む『箪笥』は私の読んでいた『箪笥』とは異なる領域に踏み込み、
しかも遥かに恐ろしい。朗読というものに少なからず懐疑的であった私は、白石さんの「百物語」
に出会って、最も刺激的な世界を創造できる分野と知った」
●宮部みゆきさん
さて、最後は宮部みゆきさんである。
宮部さんは第十五夜に彼女の作品、「小袖の手」を取り上げた時に、小池さんと一緒に岩波ホール
まで足を運んでくださった。終わった後、
「この作品は私が書いたものなのに、この後一体どうなるのかとハラハラしながら、観てしまい
ました」と感想をおっしゃったのを今でも覚えている。
これは「七つの怖い扉」での彼女のコメントである。「書き下ろしの企画ということで、二つどころか
二十個返事ぐらいで、喜んで参加させて頂きました。はじめてプロデューサーの笹部さんにお目に
かかった時に、藤沢周平先生の「夜が軋む」というたいへん怖い話を『百物語』で取り上げない
んですか、と伺いましたら、実は、その「夜が軋む」をやりたくて『百物語』を始めたとのこと。
この「夜が軋む」は第十三夜に取り上げられまして、見事な舞台を拝見しましたが、そういう事も
あって、自分が『百物語』に書き下ろす時には、絶対江戸ものを書こうとずっと前から決めて
おりました。以前『百物語』に取り上げて頂いた「小袖の手」も江戸ものでしたが、今回も江戸もの
は私の作品だけだと思います。もしかすると一番怖くはないかもしれませんが、ただ、江戸らしい
作品になっていればと思います。どんな舞台にして湧けるか、楽しみにしております」