【出演・スタッフ】
原 作:手塚治虫
演 出:栗山民也
脚 本:齋藤雅文
音 楽:甲斐正人
美 術:妹尾河童
共同制作:新宿区
協 賛:手塚プロダクション 角川書店
【あらすじ】
舞台は奈良時代と呼ばれた8世紀の日本。
隻眼隻腕の盗賊・我王は、命を助けられた高僧・良弁上人と諸国を巡るうちに、病や死に苦しむ
人々の姿に出会い、眠っていた彫刻家としての才能を開花させました。
一方、若き日の我王に利き腕を傷つけられた仏師・茜丸は、精進の末にリハビリに成功して、
名声を高め、奈良・東大寺の大仏建立のプロデューサーにまで出世しました。
茜丸のパトロンとなった時の権力者橘諸兄は、大仏殿の鬼瓦の製作を、茜丸と我王に競わせる
ことに決め、ふたりはライバルとして運命の再会をします。
しかし勝負に敗れそうになった茜丸は、我王の旧悪を暴露して、我王の残っていた右腕を
切り落とさせてしまいました…。
【制作にあたって】
劇団わらび座は2006年に創立55周年、本拠地であるたざわこ芸術村10周年を迎えました。
この半世紀、東北を拠点に国内外で日本の文化・伝統をさまざまな様式で舞台化し、地域との
共生・自然との共生・歴史との共生をかかげ、人間再生のメッセージを込めた公演を行って
まいりました。
さて、きたる2008年は日本アニメーションの創始者・手塚治虫の生誕80周年。これに際し、
わらび座はその代表作とも言うべき「火の鳥」より鳳凰編をミュージカル化、これより2年間にわたり
全国公演いたします。永遠の生命の象徴である"火の鳥"を主軸に、生命の尊さ・生命こそ
無限の可能性があることを、楽しく美しい舞台として制作し、皆様にお届けしたいと思います。
【作品のテーマ】
人はなぜ死ぬのか?なぜ生きるのか?
死ぬために生きるのか・・・?
生まれながらに不幸を背負って生きなければならない我王は自分の運命に怒り、苦しみます。
「前世の報いだと言うけれど、なぜ自分はこんな風に生きなければならないのか…?」
けれど、考えてみても納得できる答えはなかなか見つからない。
ならば、「今」を生きよう。
前世の報いも来世の運命も全てひっくるめ、永遠に続いていく生命の連鎖の中の「今」を精一杯生きよう―
輪廻の中で苦しみながら悟りを開いていく我王の姿を通し、「今、ここで生きていること」を見つめ
なおすきっかけとしていただければと願っています。
※輪廻転生・・・死んであの世に還った魂が別の生き物となり、この世に何度も生まれ変わってくるという仏教などの東洋思想に見られる考え方です。
「仏教を説くために輪廻転生を描いているわけではない。示したかったのは、生命の連鎖であり、
連なる事で永遠に続く生命にこそ、無限の可能性があると云いたかった。新しく生まれ変わること
は前世よりも、よりよく生きるチャンスに違いない。」
― 手塚治虫の言葉
手塚治虫とわらび座 |
1987年、日本の文化伝統活性化を目的とし、「わらび座と文化運動を考える会」発足。加藤周一、木下順二、観世栄夫、宇野重吉、山田洋次、外山雄三などの各氏を代表世話人として、研究・交流が始められました。そのメンバーの一人として名前を連ねていたのが手塚治虫氏。同年、手塚氏も秋田を訪れ、わらび座創立者の原太郎と対談も行っています。
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真の民衆芸術発展のために |
「わらび座」を支援する会は全国にいったい何千ヶ所あるだろう。ぼくの住む東久留米市にもある。
支援するファンの熱意というかエネルギーは革命を起すほどの大きさだ。しかしなぜか文化人や
芸術家のファンは結束する機能に欠けていた。今このコアが固まり、全国的に磐石の絆をつくろう
とする。「わらび座」を基点として、日本は伝統文化、真の民衆芸術すべての発展のためにとて
つもないエネルギーとなり得ることを確信する。ぼくもその一員として、結ばれた絆を大切にして
いきたいものだ。
手塚治虫(マンガ家)
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