【キャスト】
松井誠
山崎銀之丞
菅生隆之
赤坂泰彦
【スタッフ】
原 作:エウリピデス
上演台本:笹部博司
演 出・栗田芳宏
衣 裳:朝倉摂
照 明:沢田祐二
音 響:高橋厳
衣 裳:時広真吾
ヘアメイク:我妻淳子
舞台監督:望月康彦
宣伝美術:釆澤 聰
宣伝写真:園田昭彦
制 作:千葉裕子(る・ひまわり)
:大島佳奈(メジャーリーグ)
提 携:THEATRE1010
協 力:(株)誠オフィス
主 催:(株)メジャーリーグ
【解 説】
史上最高の悪女と呼ばれているメディアに、松井誠が挑む!
「もしかしたら、悪事を心に思い浮かべている時が、女の人が最も輝いているのではない
でしょうか。わたしは男としての松井誠を震え上がらせ、女性の方がご覧になると、
溜飲が下がる、そんなメディアを演じることが出来ればと考えています」
メディアは演劇史上最悪の悪女である。
そしてその命は、何千年経とうと輝き続ける。
男を追いつめるならここまでやらなくては。裏切った男への見せしめに、自分の愛児まで殺して
しまった女。まさにメディアは、いざとなったら女はどんなに怖いかを男に永遠の記憶として
植え付けた女である。
それにしても、メディアは今もってなお強烈なリアリティと存在感がある。
そしてメディアの凄いところは、平然と自分は生き延びているところだ。
死のうかとまで思い詰めた女が、突然現れた男を誘惑し、自分の次の行き先を作った上で、
すざましい復讐に取りかかる。この恐ろしさ、すざましさ、したたかさは、感動的といってもいいだろう。
メディアには、マクベス夫人もとてもかなわない、想像力が作り出した最高に悪い女である。
その悪の華に賛美を送る、それが「メディア」という芝居である。
女はどんな悪事をしても許される。
想像上の悪事は、ファンタジーでもあるのだから。
松井誠の「メディア」は、女性たちの心の奥底での願望を、演劇という形で実現する。
悪事は楽しく、なのだ。
ギリシャ悲劇は、ワイドショーのネタ!?
メディアはギリシャ神話の中に登場する女性であるが、ギリシャ神話というのは当時の有名人の
スキャンダルやゴシップを集めたもので、今で言えば、新聞・雑誌の三面記事、あるいはテレビの
ワイドショーのネタなのだ。メディアの心の奥底には深い心の闇がある。
彼女は、理由があれば、どんな悪事も許されると考えている女で、実際に彼女にはその悪事を行う
腕に覚えがある。メディアは我が儘いっぱいに育てられた有名人の娘で、生まれつき気位が高く、
指図、命令は自分からするもので、人からされるものではない。かたくなな心はつゆ曲がることが
ない。我慢とか妥協とかが出来ない女。つまりメディアは危険な爆弾そのもののような女である。
そして彼女の夫であるイアソンは、それを踏んでしまった。さて、どうなるか。爆弾はすぐには
爆発しない。その中に怒りのエネルギーと殺意を目一杯ため込み、まさに頂点に達したその瞬間に
爆発するのだ。だからドラマの構造は、どんどんと風船が膨らんでいくというふうに作られている。
風船は人々の想像を超えて、巨大に膨らんでいく。そして、怒りと殺意で膨らんだあの巨大な風船が破裂したら、どんなに恐ろしいことが起こるのだろうと、観客の中に風船が膨らむと同時に、想像も膨らんでいく。
【あらすじ】
母親が自分を裏切った夫への見せしめに二人の幼子を殺害した。それがメディアが起こした事件
である。もし、この事件が今起こっていれば、連日連夜テレビのワイドショーで取り上げられ、
特番も組まれたことだろう。そして、ギリシャ悲劇としてもっとも有名な作品である「メディア」を、
そういう生々しさで上演出来ないだろうかというのが、今回の企画である。
メディアの心の奥底には深い心の闇がある。彼女は、理由があれば、どんな悪事も許されると考えて
いる女で、実際に彼女にはその悪事を行う腕に覚えがある。メディアは我が儘いっぱいに育てられた
有名人の娘で、生まれつき気位が高く、指図、命令は自分からするもので、人からされるものでは
ない。かたくなな心はつゆ曲がることがない。我慢とか妥協とかが出来ない女。
つまりメディアは危険な爆弾そのもののような女である。そして彼女の夫であるイアソンは、それを
踏んでしまった。さて、どうなるか。爆弾はすぐには爆発しない。
その中に怒りのエネルギーと殺意を目一杯ため込み、まさに頂点に達したその瞬間に爆発する
のだ。だからドラマの構造は、どんどんと風船が膨らんでいくというふうに作られている。
風船は人々の想像を超えて、巨大に膨らんでいく。そして、怒りと殺意で膨らんだあの巨大な風船が
破裂したら、どんなに恐ろしいことが起こるのだろうと、観客の中に風船が膨らむと同時に、
想像も膨らんでいく。
メディアはギリシャ神話の中に登場する女性であるが、ギリシャ神話というのは当時の有名人の
スキャンダルやゴシップを集めたもので、今で言えば、新聞・雑誌の三面記事、あるいはテレビの
ワイドショーのネタなのだ。
それにしても、メディアは今持ってなお強烈なリアリティと存在感がある。そしてメディアの凄いところ
は、平然と自分は生き延びているところだ。メディアのこの強さ、したたかさは、感動的といっても
いいだろう。メディアには、マクベス夫人もとてもかなわない、想像力が作り出した最高に悪い女で
ある。その悪の華に賛美を送る、それが「メディア」という芝居である。女はどんな悪事をしても
許される、これが今回の「メディア」の基本コンセプトである。
では、なぜ松井誠なのか?
そこで起きる感情があまりにも巨大なので、少しデフェルメしたいのだ。
舞台はあくまでもエンターティメントでありたい。あまりのも生々しくドロドロとしたものを、
そのまま露骨に観客に提示すると、観客はひいてします。とことん悪い女であっても観客に嫌われて
はいけない、反対に観客の愛を獲得しなければならない。つまりチャーミングで、可愛くなくて、
それでなおかつ迫力がなくてはいけないのだ。
あの有名な子殺しの場面は、様式の力で美しく、あたかも舞踊のように表現したい。
メディアは夢の世界で永遠に生き続ける悪女である。
だから、舞台の上での「メディア」も、ファンタジックであるべきなのだ。